韓国 延坪島(ヨンピョンド)は、ソウルの海の玄関口、仁川港から西へおよそ120Kmに位置し、フェリーで約2時間半の場所にあります。
2,200人あまりの人が暮らす、ワタリガニ漁が盛んな日本の離島や島などと同じのどかな島ですが、日本と違うところは、大勢兵隊が島に駐留しているところです。
島には多くの韓国軍兵士の姿がみられ、上空には軍用ヘリコプターが飛行するなどものものしい雰囲気に包まれています。
そのきっかけとなったのが、7年前の惨劇でした。
延坪島砲撃事件
2010年11月23日、北朝鮮が突如170発もの砲弾を延坪島に向けて発射しました。
このうち80発ほどが着弾し、島は炎に包まれました。
この攻撃で韓国軍兵士2人が死亡。
さらに民間人2人も犠牲になったのです。
一体なぜ、この島は攻撃されたのか?
延坪島は北方限界線の南に位置する島です。
北方限界線とは、1953年、朝鮮戦争休戦後に国連軍が設けた、いわゆる軍事境界線のこと。
しかし、北朝鮮側はこの北方限界線を認めず、1999年に独自の境界線を一方的に主張しました。
それ以降、この付近の海域では過去3度にわたって海戦が勃発。
そしてついに、海上での戦いだけでなく、2010年、延坪島への攻撃へとエスカレートしたのです。
砲撃の爪痕がのこる延坪島
北朝鮮の攻撃は、島の北側にある軍事施設だけでなく、島民が暮らす南の集落にも届いていました。
そしてその爪痕は、現在でも島のあちこちに残っています。
砲撃によって破壊された民家や、地面に突き刺さった不発弾も当時のまま保存されており、北朝鮮の攻撃を風化させないため、博物館として公開しているのです。
また、砲弾が着弾した爆風にて亡くなった兵士が身につけていた徽章も木に刺さったままとなっています。
北朝鮮の攻撃に備えた対策
事件後、北朝鮮からの攻撃に備え対策が進められた延坪島。
島内には7箇所のシェルターが新たに設置されました。
中には、炊事場や医療設備などが完備されており、5日分ほどの非常食や水が備蓄されています。
これら島内の7箇所のシェルターで住民の9割以上を収容可能です。
また、島民の命を守るために、韓国軍の戦力増強も図られました。
事件後、延坪島を含む周辺の島の兵士を1,000人以上増やし、およそ5,000人を配備しています。
戦闘用ヘリコプターや境界線付近の艦隊も増強されたとのことです。
島から若者の姿が消えた
北朝鮮の攻撃に備え様々な対策が進められました。
しかし、多くの若者は安全に不安を抱き、島を去っていったといいます。
残ったのは、生活の基盤があるために島を離れられない高齢者たち。
彼らは事実上、人間の盾になっているといってもいいでしょう。
民間人がいなくなると、北朝鮮が突然攻めてくる可能性が高くなるからです。
島民がいるからこそ、この島がまだ攻撃にさらされないでいるのです。
まとめ
島の北にある高台からは、北朝鮮の島々や本土を眺望することができます。
しかし、すぐ間近に見える北朝鮮に対し、島民たちは不安を覚える一方、意外と落ち着いてもいるようです。
シェルターが増設されたり演習が増えたり、また兵士が増強されたりと、万一のときにそなえて備えられているということが不安の軽減につながっているようです。
日本においても、この点は参考になるのでしょうか。
もちろん、延坪島と日本は置かれた状況が違うので、延坪島ほど極端にする必要はないのですが、いつ暴発するかわかない北朝鮮の脅威に対し、万が一に備えシェルターを作る、また、避難訓練を行うなど、不安を軽減させるためにの対策を考えていく必要があるのではないでしょうか。